なんでか考えてみた 脱サラして20年ねん余り、今でも続いてる同期との関係性
こんにちは、すえひろでんきの末広二郎です。昨日は朝早くからゴルフに行ってきました。
メンバーは、私が20代だったサラリーマン時代の同期と一緒でした。
昨日は3人と少人数のメンバーでしたが、とても楽しい時間を過ごせました。ゴルフの様子をショート動画にしてみましたので、よかったらご覧ください。
今は街の電器屋をやっている私ですが、若い頃は瀧定という会社で働いていました。この会社は、なんと元治元年(1864年)創業の非常に古い会社です。そのせいか、当時は特にアナログな部分が多かったように思います。若い頃の私は、商社の営業マンとして、毎週のように出張に出かける生活を送っていました。これはもう20年以上も前の話です。その頃のことは以前のブログにも書いていますので、興味があればぜひ読んでみてくださいね。
改めて振り返ると、20年以上も経った今でも付き合ってくれる仲間がいるのは本当に貴重なことだと思います。よく続いているなぁと感慨深いです。
なぜこんなに仲が良いのか、改めて考えてみました。理由の一つとして、仕事が非常にハードだったことが挙げられると思います。朝早くから夜の10時過ぎまでずっと働いていました。特に入社1年目は営業ではなく「蔵番」という仕事に就いていました。つまり、倉庫番ですね。
要は在庫管理と出荷の仕事をしていました。
在庫管理には、契約している外部の営業倉庫、それに仕入れ先であるメーカーや工場、さらに会社の地下に広がる見本の生地を置いている倉庫もありました。
当時は、紙に書かれた膨大な在庫表を見ながら、オーダー書を手書きで作成し、ファックスで出荷手配を繰り返していました。
この量が半端なかったです。朝から夜までオーダー処理に追われていました。特に「当日出荷」をするために、時間との戦いでした。
さらには、地下倉庫で生地の長さを測り、ハサミで切って運送便に乗せる作業もしていました。
まさに肉体労働でした。ひどい時は、夜の本町で佐川急便のトラックを探して、荷物を乗せてもらうこともしばしばありました。
そのおかげで、送り状を見て荷物を追跡することが得意になりました。
また、ハサミで生地を切ることや、生地をたたむことも得意になりました。
こんなことを繰り返して、1年間の見習い生活を送りました。今でも生地の種類はしっかりと覚えています。こうやって、商品知識や物流を学んだんですね。
そんな生活を共にした同期とは、しんどい時に愚痴を言い合いながら何とかやってきました。
だからこそ、今でもその当時のことを笑いながら話せるのだと思います。
今では、その会社もデジタル化が進み、手書きでオーダーすることはほとんどないようです。仕事を効率化できたことは素晴らしいことですが、今となっては当時の苦労はとても貴重な体験だったと思います。
長々と私の思い出話になってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。